福本 和正(滋賀県立大学助教授) |
私と建築基準法との関わりは、 耐震基準の面からが主ですので、 主としてこの面からその基準の変遷と経緯について、 解説させていただきます。 1. 市街地建築物法における耐震基準 市街地建築物法は、 大正8年に都市計画法の姉妹法として制定されました。 わが国における近代法制による最初の建築法規です。 建築物の構造計算に関しては、 同法第12条に定められ、 具体的な規定については、 市街地建築物法施行規則に定められました。 制定当初は、 自重及び積載荷重の鉛直方向のみを考慮した許容応力度設計法で、 地震力については規定されていませんでした。 建築物の耐震基準については、 大正13年に、 同法施行規則が改正され、 第101条の2に、 国の法令としては、 世界に先駆けて建築物の耐震基準が盛り込まれました。 わが国では、 明治に至るまでの間は、 ほとんどが木造建築物であり、 建築物の地震被害を踏まえて経験的、 伝統的な建築工法が積み重ねられてきており、 今日で言う工 学的な耐震設計法というものはありませんでした。 明治以降、 外人教授やわが国の少壮学者によって地震学や地震工学の研究が鋭意進められてきましたが、 明治24年の濃尾地震を契機として、 政府内にも地震予防調査会が設置され、 国としても地震防災に関する研究開発が進められることになりました。 大正4年に佐野利器博士により、 「家屋耐震論」 が発表され、 この中に、 その後半世紀にわたり耐震設計法として使われてきました 「震度法」 が提案されました。 大正12年の関東大地震後の建築物の被害調査では、 佐野博士が提案した 「震度法」 により設計されたものは、 ほとんど被害がなく、 このため、 建築物の耐震性を確保することを目的として、 大正13年に、 市街地建築物法施行規則を改正し、 この 「震度法」 を建築法令の中に盛りこんだものです。 市街地建築物法によって定められた耐震基準の概要は、 次の通りです。 1) 設計用地震力Fは、 F=kW により求めます。 (k:水平震度、 W:建築物の重さ) 2) 水平震度kは、 0・1以上とします。 3) 材料の許容応力度は、 材料の破壊に対して、 3倍の安全率を持つものとします。 4) 建築物の高さは、 100尺 (31m) 以下とします。 2. 建築基準法における耐震基準 昭和25年に、 市街地建築物法の後を受け継ぎ、 建築基準法が制定されました。 そして具体的な技術的基準は、 建築基準法第36条の規定に基づき、 建築基準法施行令第3章 「構造強度」 に定められています。 建築物の災害や建築技術の進展に伴い、 何回か改正され、 今日に至っています。 基本的な内容は、 市街地建築物法の震度法を用いた許容応力度設計法ですが、 建築基準法では、 許容応力度を、 従来の1種類から、 長期と短期の2種類に分けたことが変わっています。 すなわち、 平常時には、 荷重として固定荷重、 積載荷重 (多雪区域においては、 更に積雪荷重) によって、 建築物の各部に生じる応力を計算しますが、 地震時、 暴風時、 積雪時においては、 これらに加え、 荷重及び外力として、 地震力、 風圧力、 積雪荷重を使い計算することにしたもので、 前者を長期、 後者を短期として、 それぞれの許容応力度を定めたことです。 また、 短期の許容応力度の数値を、 従来に比べ、 2倍に引き上げたことにより、 外力となる地震力の算定に用いる水平震度を、 従来の0・1以上から、 0・2以上に引き上げています。 3. 建築物の地震被害と 「新耐震設計法」 の開発 昭和25年に建築基準法が制定されて以来、 わが国に於ける建築技術の革新は著しいものがあり、 耐震設計法に関しても数多くの研究開発がされました。 強震計の開発、 設置による各種の地震記録の蓄積と電子計算機の急速な発展、 普及によって、 構造計算における解析技術も飛躍的に進み、 動的設計法の体系が整えられました。 昭和38年に建築基準法が改正され、 特定街区制度の導入に伴い、 従来の絶対高さ制限 (100尺制限) が一部撤廃されたことにより、 動的設計法を用いた超高層建築物の建設が可能となり、 31mを超える建築物はもとより、 100m、 200m級の超高層建築物が数多く出現してきています。 このように、 超高層建築物等の最先端技術を用いた建築物が建設されている中で、 地震の度に、 一部の建築物といえども多大の被害をもたらしていました。 このような 耐震設計のアンバランスを解消し、 より合理的な耐震設計法を確立することが、 新潟地震や十勝沖地震などが発生する度に、 強く要請されてきました。 このような情勢により、 建設省は、 昭和47年度に創設されました総合技術開発プロジェクトの第1号として 「新耐震設計法の開発」 に着手し、 51年度まで5カ年にわたり実施されました。 その成果は、 「新耐震設計法 (案)」 としてとりまとめられ、 昭和52年3月に一般に公表されました。 4. 建築基準法施行令耐震基準の改正 「新耐震設計法 (案)」 は、 かなり学術的色彩が強く、 現実の設計に適応させるための簡略化が必要でした。 そこで建設省は、 建築基準法施行令の全面的な見直し作業を進め、 その結果昭和55年7月、 建築基準法施行令の一部を改正する政令として公布し、 昭和56年6月1日から、 新耐震基準を施行しています。 その間、 既存建築物対策、 地震地域係数に関する建設省告示の改正、 耐震指導指針等の地震対策を講じています。 この建築基準法施行令の耐震基準の改正は、 昭和25年に建築基準法が制定されて以来30年ぶりの大改正であり、 その考え方としては、 大正13年に市街地建築物法に初めて耐震基準が盛り込まれて以来56年ぶりの大改正になるものです。 また、 市街地建築物法でもそうでありましたように、 今回の耐震基準の改正もまた、 国の法令としては世界に先駆けて新しい耐震設計法の考え方を盛り込んだものです。 この建築基準法施行令耐震基準の改正の基本的な考え方の内の一つに、 「地震に対する建築物の安全性については、 建築物の耐用年数中しばしば起こる中小規模の地震に対して建築物の損傷を防止するとともに、 数10年から100年に1度の確率で起こる比較的大規模な地震に対して、 ひび割れ等の損傷を受けても建築物を崩壊させず人命を保護する」 ということがあります。 5. 新耐震設計法以後の動き 昭和56 (1981) 年6月1日に 「新耐震設計法」 が施行されて約14年後の、 1995年1月17日に発生しました 「阪神・淡路大震災」 での建築物の被害は、 戦後最大のものとなりましたが、 その概要は次のようになります。 1) 新耐震設計法の施行以前に建てられました建築物に、 倒壊・大破等の大きな被害を受けたものが多いこと。 2) 最低基準としての新耐震設計法は、 水準面でもほぼ妥当であること。 3) 新耐震設計法の施行以後に建築された建築物でも、 倒壊、 大破等に至った事例があり、 これらは、 不適切な設計・施工や、 剛性・強度の不均衡、 品質管理の不備によるものであったと指摘されています。 これらの指摘を受け、 平成7年12月に、 「建築物の耐震改修の促進に関する法律」 が施行されるとともに、 建設省は 「鉄骨造建築物の柱の脚部に関わる措置」、 や 「鉄筋コンクリート造等の建築物の特定階における崩壊防止に関わる措置」 の告示を改正しています。 また、 最近の規制緩和、 国際協調、 建築物の安全性の一層の確保及び土地の合理的利用の推進等の要請に的確に対応した新たな建築規制制度を構築するため、 民間機関による建築確認・検査制度の創設、 建築基準への導入を始めとする単体規制の見直し、 建築確認等の円滑化のための新たな手続き制度の整備、 中間検査制度の創設、 一定の複数建築物に対する建築規制の適用の合理化等の措置を講ずることを内容とした建築基準法の改正が行われ、 平成10年6月12日に公布され、 平成12年6月から施行されています (「建築基準法の一部を改正する法律」)。 |
パネルディスカッション「建築基準法はザル法か─建築基準法違反の設計・施工を許容する土壌を問う─」 (2) 建築基準法の単体規定の由来と解説 福本和正(滋賀・滋賀県立大学助教授)
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