長野大会に参加された中国の留学生陳桐花さんから、次のような感想文がよせられました。
長野のおそば |
東北大学法学部319号研究室 陳 桐花 |
11月29日午前9時20分、1ヶ月前から期待していた長野にようやく旅立ちました。 12時14分に長野駅に着きました。 駅の出口に立てられた「第16回欠陥住宅被害全国連絡協議会」の看板は、とても目立っていました。 地元の方に歓迎される喜びをかみしめつつ、私達一行5人、駅前のおそば屋さんで昼食をすませ、急いで会場に向かいました。急いだせいか、長野の名物お蕎麦は特別なお味がしなかったようです。 12時50分、弁護士、建築士、学者、行政官、被害者などを中心とする会場はすでに満員でした。会場内外、名刺交換している初対面の人がいれば、何人か 集まって愉しそうに会話している旧識のような方もいます。私のように、きょろきょろしながら、何につけ興味津々の輩はいないようです。 13時ちょっと前に全員続々と着席し、13時、会議の幕が開かれました。私も視線を一点に集中させて静かに会議内容に耳を傾けはじめました。 欠陥住宅被害者に有利な最高裁判決の登場、アメリカと日本の住宅建築事情の相異点の分析から、JLAの「登録建築家」制度試行の構想、「建築資格制度」 の創設および建築行政の現状まで、日本の住宅建築制度の中に実在している問題点とそれに対応する改善策が、弁護士、外国建築士、JLA、日本建築士会、建 築行政のそれぞれの代表によって報告されました。 このような問題意識に基づいて、欠陥住宅被害を根絶するため、建築士のあるべき姿をめぐって議論が行われました。このとき、一人の建築士さんが、「私 は、建築士の良心を持って欠陥住宅を作らない」と胸を張って発言しました。この頼もしい発言のせいか、会場は非常に熱くなりました。そして、「建築士自身 が自主規律すべきだ」、「建築士資格制度自体に問題がある」、「注文主のための建築制度を作っていない」、「建築行政上の手続の不備」などなどの質問や意 見が活発に出されました。私自身知らない制度、仕組みではありますが、発言者の熱意、責任感、正義感に感銘を受け、心に抑えきれない暖流が力強く流れてい くのを感じました。 続いて、学者による法律論の構築、弁護士実務家達による司法的救済、建築士による建築工法の練磨など、それぞれ問題解決の一環として詳しく報告されまし た。問題解決に向かって詳細な理論分析を行い、具体的解決手法を工夫し、おかげで、熱弁で沸騰している会場も、少し熱を冷ましました。 留学している5年間、ずっと、求め続けていた大切な「宝物」が、ここで見つかりました! 一人の人間はけっして強いものではありません。「宝物」をつねに大切に守るのもけっして容易ではありません。むしろ、社会の流れにしたがって流されてい くほうが簡単で楽かもしれません。でも、彼らが「宝物」を堅く守り、この社会に対して、一人一人が自分なりの責任を持ち、堂々と歩いています。遠い昔日本 のサムライのように。 世界の国、民族はトイレに行くような小さいことから、人々の言行挙止、考え方のような大きいことまで、それぞれ違ってくると思いますが、信頼できる仲 間、暖かい人間関係は、国・民族を異ならず、誰でも心から求めているに違いがありません。無秩序の競争社会が人間関係の破壊を招来し、その修復は秩序のあ る協同社会にしか頼れないと思います。学者・法律実務家・建築士達は被害者救済を図り、力合わせて協同社会を作ろうと頑張っている姿を目の前にみて、ここ では、秩序のある「協同社会」がすでに現れているような気がしました。 この協同社会の中で、日本の欠陥住宅の被害者は、泣き寝入りをせず、直ちに自己の権益を主張でき、救済を受ける希望をもつことができるでしょう。この意 味では、日本の欠陥住宅の被害者は、必ずしも不幸とも言えません。これに対して、落ち着かない社会になった中国にいる私の父母兄弟、知人友人は、いつ、こ のような秩序のある協同社会で暮らせるようになるでしょうか。ふっと、私は、自分に課せられた重い責任を感じて、その夜は眠れませんでした。 翌日、善光寺でおみくじをひいたら「末吉」でした。それでも、「末吉」を松にむすび付けました。「素敵な仲間が見つかったことが末吉だったら、これからはどのぐらい量れない「大吉」が待っていてくれるだろう」。 長野と別れる前に、もう一度善光寺前のおそば屋さんでお昼食を済ませました。長野のおそばは、本当においしく、忘れられない味になりました。 2003年12月22日 冬至 |
(欠陥住宅全国ネット機関紙「ふぉあ・すまいる」第11号〔2004年4月28日発行〕より) |